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女性が配偶者を指して「主人」「旦那」と言うと違和感がある件

投稿日:2019年3月2日 更新日:

女性が配偶者を「主人」「旦那」「ダンナ」と呼ぶ件のイメージ画像

要旨

女性が配偶者を「主人」「旦那」と呼ぶのって今なお世間では普通で、これをやめようと呼びかけると炎上します。

これは、日本がいまもなお男尊女卑の国で、ジェンダーギャップがG7の中で最下位で、149カ国中110位と下から数えた方が早いことと、無関係ではなかろうと思うわけです。

多くの男性は女性より優位に立っていたいと思い、多くの女性は守られる立場で楽していたいと思っているのかな。日本の変化は非常にゆっくりだから、日本のジェンダーギャップ解消は100年以上後のことかと。

自分の配偶者を何と呼ぶのも自由だけど違和感

既婚女性が自分の結婚相手を何と呼ぶか。
これは自由だ。

私は夫のことを「主人」や「ダンナ」とは絶対に言うまいと結婚当初から決めていて、以来20年近く実行し続けてきた。

私の夫は「主人」ではない。私は夫に仕えてはいない。
という意識が根底にある。

10年ほど前だろうか、私より年下の女の子たちが、結婚して自分の配偶者のことを「主人」と言い始めた。

人様のことであり、よそ様の家のことであり、私が口を出すことでは全然ない。主人と呼ぼうがダンナと呼ぼうが、誰にも何の迷惑もかかるまい。

ただ、違和感を覚えた。

最近、私よりもずっと年下の若い女の子たちが結婚して、自分の配偶者をやはり「主人」とか「ダンナ」と言うのをよく聞くようになった。

これには軽くショックを受けた。
人の意識や習慣は、こんなにも変わらないものか。

「主人」「旦那」の意味をわかっていて呼ぶのか
それとも刷り込みか

「主人」は「家の長」「自分の仕える人」

自分の配偶者を「主人」「ダンナ」と呼ぶ女の子たちは、恐らく母親など自分の周囲にいる女性の言葉遣いに倣っているのだろうと思う。

多分、その言葉の持つ意味について、そんなに深く考えてはいないのだ。

辞書で「主人」の項を見れば、「妻が他人に対して夫をさしていう語。」とは書いてある。でも、もともとの意味を知っても、自分の夫を「主人」と呼び続ける気になるだろうか。

1 家の長。一家のぬし。
2 自分の仕える人。雇い主など。

コトバンク「主人」

「家の長」って。
「家長」だよ。
平成も終わろうってのに、明治以来の家父長制を引きずってる?

「自分の仕える人」って。
妻は召使か?奴隷か?
夫婦は対等じゃないの?

「旦那」は「奉公人などが主人を敬っていう語」「パトロン」

「旦那」も似たようなものだが、「パトロン」の意味もあるあたり、「主人」よりひどいかも。妻=妾か?それとも愛人?

② 家人・奉公人などが主人を敬っていう語。特に商家で使用人が主人を呼ぶ語。

④ 女性と特別の関係をもち、生活の面倒をみている男。パトロン。

コトバンク「旦那」

正妻が偉くて妾はいかんとか、愛人業を蔑むつもりは全くないけれども、「旦那」という言葉にはそういう存在を匂わせる。

もし、このような言葉の意味を知った上で、自分の配偶者を「主人」「ダンナ」と呼んでいるのだとしたら、それはそれで腹が太いというか、心が広いというか、懐が大きいというか、大雑把というかなんというか・・尊敬します。

でも、矛盾を感じないだろうか?
心にモヤモヤはないだろうか?
「主人」「ダンナ」を何十年も使い続けて、夫婦間の平等に揺らぎはないだろうか?
それとも、「不平等でよし」ということなのだろうか。

もちろん、恐妻家で「主人」「嫁」と呼ぶような夫婦も多くあるとは思うのだが。

川上未映子さんの「『主人』『旦那』はやめようよ」論は炎上したが、私はこの発言に拍手する

私はかれこれ30年近く前から「主人」「旦那」に違和感を感じてきたが、私がこだわるほどには世間では気にしてはおらず、顧みられることはあまりなかったと思う。だから、結婚した友達が「ダンナ」と言っても、職場で同僚が「主人」と言っても、「ああ、この人も」と思うくらいで、あまり気にしないようにしていた。

自分に「主人」と言わない自由があればいいや、と。

だからだろうか、一昨年、川上未映子さんが「日経DUAL」の記事で書いてくれたことは、とても嬉しかった。夫に対して「主人」「旦那」はおかしいと思うのは、私だけではなかった。ようやく同志を見つけた気分。

自分の配偶者のことは「夫」でいいじゃないですか。旦那も主人もやめようよ。そして夫は「妻」と呼びましょうよ。あるいは、名字で呼びましょうよ。名前で呼びましょうよ。

川上未映子 「主人」という言葉が心底嫌い [PR]
日経DUAL 2017年1月20日

川上未映子さんは、私と同年代の芥川賞作家。作家の多くがそうであるように、言葉の持つ力を知り、言葉を大切にしているのだろう。

3月8日の国際女性デーを前に公開された川上さんのコラム(「「主人」や「嫁」という言葉は賞味期限 川上未映子さん」朝日新聞デジタル 2017年3月6日)でも、同種の論が展開され、その後この【「主人」「旦那」と呼ぶのはやめよう】に関する話題は炎上に近い形で広まった。

なぜ「炎上」したのか。
他国と比べても情けない限りのジェンダーギャップを縮める好機ではなかったか。

日本の男性の多くは女性の地位向上を恐れている?

日本では、女性は自分のパートナーを「主人」「旦那」と呼ぶのが当たり前であって、「主人」「旦那」をやめよう!と主張することは歓迎されないのだな、ということがこの炎上でよくわかった。

女性の地位が上がり、優れた能力を持つ女性が男性を超えて力を発揮していくようになることを、心底恐れ嫌がる男性が相当数いるのではないか。例えば、自分に自信がない男性とか。男尊女卑の地域や家庭で育った男性とか。と、チラと思いつつ。

「主人=自分の仕える人」の意味は過去のものではない

「主人」「旦那」のままでいいじゃん、と言う人もいる。言葉の歴史を責めても仕方ないとか、言葉狩りに意味はないとか、言葉のもともとの意味なんて、今はもう関係なくなっている、とする人も多くいる。全否定はしないが、それは歴史に学ばない姿勢に通じる部分もあり、全面的な賛成はできない。

また、メイド喫茶やある種のゲーム等では「ご主人様」という言葉が使われていて、「主人」がもともと持つ意味は今も生きている。過去のものにはまだなっておらず、現在進行形で活躍中だ。

その言葉を、夫婦間で使い続けることに違和感を感じない人がいても不思議はないし、それを責めたり変だとだんずるつもりはないが、「主人」「旦那」という言葉を使い続けることは、男性優位とする感覚を養い続けることにつながるのではないか。

女性の中にも、今の「男性よりちょっと下」(あるいは「だいぶん下」)でぬくぬくしている方が楽、ということから、「そんなことでいちいち主張しなくても」と思う人も、相当数いるんだろうなとも思う。低い弱い立場に身を置き守られるのが合っている人もたくさんいるだろう。

日本は変わりにくい?

日頃から思うのは、世界の変化進化に比べて、日本は変わりにくいのではないか、ということだ。世界の主要な言語から外れているから、世界の変化を知るためのソースが限られてしまうのだろうか。

予防歯科、運動理論、音楽理論、子供の権利、色々な分野で日本はおいてけぼりだ。政策や教育、生活面で10年~20年は欧米に後れをとっている。

ジェンダーギャップについてもしかり。

【「主人」「旦那」と呼ぶのはやめよう】の話題が炎上したことが示しているのは、ジェンダーギャップについても、日本の世論の大勢としては「変わりたくない」らしい、ということ。女性が配偶者のことを、夫婦間にいかにも上下関係があるかのように「主人」と呼び続けることを支持する人が大勢いて、それは当分変わりそうにないし、そもそも変わりたくないらしい。

これは、日本のジェンダーギャップが先進国の中で最も低く、世界の中でも下から数えた方が早いことと、関係しているのだろうなと、私の直感が言う。もちろん当てずっぽうだけど。

日本ではいつまで女性の地位が低いか

2018年12月に発表された日本ジェンダーギャップ指数は、昨年より若干改善したものの、世界的に見れば断然「女性の地位が低い国」。149カ国中110位って、すごい。先進国としては奇跡的なほどの男尊女卑ではなかろうか。

今後も日本で女性の地位が劇的に上がることはないだろう。ほんの少しずつ良くなっていって、100年後に不平等の多くが解消される。日本の歩みはゆっくりだから、そんなところかな。

日本では今もなお、政治の世界でも、企業でも、女性の昇進は難しく、女性の平均収入は低い。
みんな、育児を含む家事労働を、不当に低く評価していないか?
労働を現金収入に偏って評価していないか?

経済的にも精神的にも自立した大人なら、自分のパートナーを「主人」とか「ダンナ」と呼ぶ必要はないのではないか?

むしろそう呼んだら違和感を感じないかな?

自分は誰の奴隷でもない、従属しているわけではない、パトロンに養われているのでもない、一人の自立した人間であるという自覚って、そういうところから生まれるんじゃないかな?

もうすぐ今年の国際女性デーがやってくる。
前向きなニュースが聞けますように。

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